放蕩息子

 わたしは10代の頃に高校受験に失敗してYMCAの予備校に通っていたことがある。 そこでは週に一回キリスト教の牧師による授業があって、各自にギデオン教会の新約聖書が一冊づつ配られたのだが、それが聖書との最初の出会いだった。
 とはいえ、すでにひねくれ者であった私がそこで見出したのはルカの「放蕩息子」の譬えだった。 おや!これはストーンズの曲と同じじゃないか。 そこで何を間違えたものだか、私はこれを「どんなに無茶をしても親は赦してくれるもんだ」と読んでしまった。 実に身勝手な解釈ではあるが・・・まずはその歌詞の摂訳から。 
以下は "poor boy" を一律に「放蕩息子」としてみたが、ここではどちらかというと「愚かな息子」という意味合い。

Well a poor boy took his father's bread
and started down the road
Started down the road
Took all he had and started down the road
Going out in this world, where God only knows
And that'll be the way to get along
そうさ、放蕩息子は彼の父親のパンをくすねて
旅へと飛び出した
旅へと飛び出したんだ
自分の持ち物全てを手に、旅へと飛び出した
この世界の外へと、神のみぞ知るさ
そうとも、なんとかやっていけるハズさ
Well poor boy spent all he had,
famine come in the land
Famine come in the land
Spent all he had and
famine come in the land
Said,
I believe I'll go and hire me to some man
And that'll be the way I'll get along
そうさ、放蕩息子は全てを使い果たしたんだが
飢饉がその地方にやってきた
飢饉がその地方にやってきたんだ
彼の所持金すべてを使い果たしたってのに
飢饉がやってきたんだ
ヤツがいうには
どこかに行けば誰かが俺を雇ってくれるさ
そうすりゃなんんとかやっていけるハズだ
Well, man said,
I'll give you a job for to feed my swine
For to feed my swine
I'll give you a job for to feed my swine
Boy stood there and hung his head and cried
`Cause that is no way to get along
そうとも、男が言うには
お前に養豚の仕事をやらせてやろう
オレの豚を養うんだ
お前に養豚の仕事をやらせてやる
放蕩息子は首をうなだれて立ち尽くし、そして泣き叫ぶ
だってそんなじゃやっていけるワケがない
Said,
I believe I'll ride, believe I'll go back home
Believe I'll go back home
Believe I'll ride, believe I'll go back home
Or down the road as far as I can go
And that'll be the way to get along
ヤツは言った
ここから抜け出そう、家に戻らなきゃいけない
家に戻らなきゃいけないんだ
オレは抜け出して、家に戻らなきゃいけない
それとも道に飛び出て、行けるだけ遠くまで
そうさそれしかやっていく道はない
Well, father said,
See my son coming home to me
Coming home to me
Father ran and fell down on his knees
Said,
Sing and praise, Lord have mercy on me
そうさ、父親が言った
おいオレの息子が家に帰ってくるじゃないか
オレの家に帰ってくるじゃないか
父親は彼の足元に駆け寄って
そして言った
讃えるべきかな、神は私に慈悲をさずけてくださった
Oh poor boy stood there,
hung his head and cried
Hung his head and cried
Poor boy stood and hung his head and cried
Said,
Father will you look on me as a child?
そうさ放蕩息子はそこに立ち
うなだれて泣き叫ぶ
うなだれて泣き叫んだ
放蕩息子はうなだれて立ち尽くし、そして泣き叫んだ
ヤツは言った
お父さん、オレをあなたの子供として扱ってくれますか
Well father said,
Eldest son, kill the fatted calf,
Call the family round
Kill that calf and call the family round
My son was lost but now he is found
'Cause that's the way for us to get along
そうとも父親は言った
年上の息子に、肥えた子牛を屠れと
家族全員を呼び寄せるんだ
子牛を屠って家族全員を呼び集めろ
行方不明だったオレの息子が今みつかったんだ
そうとも俺達もこれでやっとやっていける

 ベガーズ・バンケットに入っているこの曲の話の内容は放蕩息子が家を出て、好き放題に暮らしていたが、金を使い果たした後に飢饉がやってきて、これじゃやってられないと実家に戻るんだが、それを父親が温かく迎えてくれたという話しだ。 (ちなみにオリジナルは Robert Wilkins とクレジットされているので多分 "That's the way to get along" と思われるが、こちらはメロディやギターは本当にそっくりだが、放蕩息子に関係する歌詞の内容は全くない。 それどころか母親が息子の死を願いながら "that's no way got him to get along" とかなり悲惨な内容だ。 さすがにストーンズもそのままは唄えなかったのか、とも勘ぐってしまう)
 ではそれがルカではどう書かれているのか? 新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店)から抜粋してみよう。

 また、彼は言った、「ある人に二人の息子がいた。 そこで、彼らのうち年下の方が父親に言った、『お父さん、財産のうち、ぼくの分け前分を今下さい』。 そこで父親は、彼らに財産を分配してやった。 すると、幾日もしないうちに、年下の息子はすべてをまとめ上げて遠い国に旅立ち、そこで放埓な生活をして自分の財産をことごとく浪費してしまった。 そこで、彼がすべてを費やした時、その国を大飢饉がみまい、彼自身も困窮し始めた。  「また、彼は言った」の彼とはイエスの事。 譬えのでだしの定型というところか。 財産の半分をオレにも寄越せという弟の要求は、長男が親の財産を継ぐのが普通だった時代としては法外であったろう。 しかしまたそれだけに兄との差から自暴自棄になっていたのだろう。 とにかく父親からせしめた財産をこの弟は遊びに浪費して、すべて使い果たした時に大飢饉がやってきた。
 そこで彼は行って、その国の住民の一人のところに身を寄せたが、この人は彼を自分の畑に送って豚を飼わしめた。 そこで彼は、豚どもが食べているいなご豆で腹を満たしたいと願ったが、これですら誰もかれには与えなかった。  とすれば普段から一緒に遊びまわっていた仲間の家に世話になろうと考えたんだろうが、世の中そうはあまくない。 豚の世話とは殆ど奴隷扱い、いや豚を不浄の動物としたユダヤにおいては奴隷以下の扱いだ。 しかもそいつはロクにメシも食わしてくれない。
 そこで彼は己に返っていった、『僕の父の雇い人たちはあんなに大勢いても、パンは有り余るほどある。 しかし、ぼくはここで、飢饉のために事切れようとしている。 立ち上がって、ぼくの父のところへ行こう、 そして父に言おう、「お父さん、ぼくは天に対してもお父さんの面前でも、罪を犯しました。 もはや、お父さんの息子と呼ばれるにふさわしくはありません。 ぼくをお父さんの雇い人の一人のようにしてください」。 そして彼は立ち上がり、自らの父親のもとへと帰って行った。  世間の風の冷たさを思い知った彼は、自分の家に帰れば使用人でももっといい暮らしをしている事を思い出す。 しかし父親に無茶を言って飛び出してきた手前、赦してくれとはいえるハズがない。 といってここでは生きている事にもままならない。 とすれば帰るしかないじゃないか。
 さて、彼がまだ遠くにあった時、彼の父親は彼を見て、腸のちぎれる想いに駆られ、走って行って彼の首をかき抱き、彼に接吻した。 しかし息子は彼に言った。 『お父さん、ぼくは天に対してもお父さんの面前でも、罪を犯しました。 もはや、お父さんの息子と呼ばれるにふさわしくはありません』。 しかし父親は、自分の僕たちに言った、『急いで極上の衣服を出して来て、息子に着せなさい。 そして指輪を息子の指にはめ、足に皮ぞうりを履かせなさい。 また肥えた子牛を牽いて来て屠りなさい。 そして食べて祝宴をあげようではないか。 わたしの息子はしんでいたのにまた生き返った、失われていたのに、見つかったのだから』。 こうして彼らは祝宴を始めた。 (luka 15:11-24)  道の向こうから近づいてくる息子の姿を、この父親はどんな気持ちで見たのであろう。 とにかくみすぼらしい姿だった事は間違いない。 素足で歩いていたから皮ぞうりを履かせる。 殆ど素っ裸だったんだろう、だから衣服を用意させる。 指は泥まみれだ、だから指輪で飾らせてやりたいのだ。 そしてなんといっても腹を空かせている。 何か食べさせてやりたいと考えない親など居るものか。 しかもこの息子が自分の間違いを認めて帰ってきたのだ。 それであれば皆で祝いの席をもうけようではないか。 うむ、なんていい親なんだ!

 確かに唄の内容とほぼ同じだが、ここでは放蕩息子は親の財産を長男の兄と半分づつ遺産として受け取っている。 とすれば帰ってきた弟を兄がどう思ったかが気になるところだが、ルカはそのことについて、続けて次の様に書いている。

 さて、彼の年上の息子は畑にいた。 そしてやって来て家に近づくと、音楽や舞踏のさまが耳に入った。 そこで召使いの一人を呼び寄せ、あれは何かと問いただした。 そこで召使いは彼に言った、『あなた様の弟様がいらっしゃいました。 そこであなた様のお父上は肥えた子牛を屠られたのです。 達者なお姿の弟様をお迎えになられたものですから』。  畑に居たからといって、野良仕事をしていたワケではない。 木陰で使用人の監督をしていたくらいのものだ。 しかし兄にとっては仕事をして帰ってきたつもりである。 ところが家では自分の知らない内に宴会が始まっている。 しかもあの弟が帰ってきたからだって? それを快く思う人間なぞ、そうはいないだろう。
 しかし彼は怒り、中に入ろうとはしなかった。 すると彼の父親が外へ出て来て、彼に懇ろに話しかけた。 彼はしかし、答えてその父親に言った、『ご覧なさい、ぼくはこんなに長い年月お父さんに奴隷奉公して来たではないですか。 それにお父さんの掟は何一つ破ったことがないでしょう。 それなのに、ぼくには、ぼくの友だちとの祝宴をあげるために、山羊一匹だって下さったことがないではないですか。 ところが、お父さんのこのどら息子が、お父さんの資産を売春婦めらと食い潰してやって来ると、こいつのためには肥えた子牛を屠られるというわけですね』。  当然兄は怒って家の外で立っている。 兄を気遣って父親は出てきたが、それに対して兄は「オレにはこんな祝いをしてくれた事がないのに、なぜアイツだけ特別なんだ」と毒づく。 ちなみに「お父さんの掟は何一つ破ったことがない」とは兄の自負でもあろうが、それこそは思い上がりでもある。 とにかく兄は弟との損得勘定で気分を害している。 しかし弟が家を出た原因とは、逆に彼が家に居たときに感じた兄に比べて損をしているという気持ちからではなかったのだろうか。
 父親はしかし、彼に言った、『子よ、お前はいつも私と共にいる。 だから、私のもの一切はお前のものだ。 しかし、今は祝宴をあげ、喜ばずにはおれないではないか、このお前の弟は死んでいたのに生き返った、失われていたのに、見つかったのだよ』」。 (luka 15:25-32)  さて、そんな兄を父親は再度諭すんだが・・・しかし、この「失われていたのに、見つかったのだよ」という視点。 兄がそれですんなり納得したとも思えないが・・・

 ところで私はつい最近まで、きっと私はこの譬え話を勘違いして読んでいたにちがいないと思っていた。 どういう事かというと、この譬え話の通常の説明は、神(父親)とはかように寛大なこころで人間(放蕩息子を愛していてくれるのだから、道を間違えてはいけないよ・・・という教えだという・・・
 つまりは愛する家族(教会)を離れても、そこにあるのは食うにも困る劣悪な社会だから、そんなところにドロップ・アウトするなんぞ愚か者のする事だ、と・・・
 しかし私が最初にこの譬えを読んだ時に感じた開放感はなんだったのだろう? そう、それまで絶対的な権威として立ち塞がる親という存在に対して、彼らの世代の価値観なぞ認めることができなかった私には、しかし同時にそれを否定するだけの経験なぞありはしなかった。 そして、そんな時に出会ったこの譬えは「たとえ間違いであったとしても、それを躊躇うことはない」という励ましに響いた。
 それは間違った「読み」だったのだろうか? いや、最近それでよかったんだとも思いだしている。 違いは父親(神)の視点で読むか、それとも放蕩息子(人間)の視点で読むかではないだろうか。 従来の読みは人々に神(父親)とはこのように寛大なこころをもっているのだから、という視点である。 しかしわたしは人間(放蕩息子)がどんなに無茶をしたって、という視点だ。
 つまり神の視点からこの譬えを読めば、「放蕩などするな!」であるが、わたしのような人間の視点から読めば「たとえ放蕩をつくしたって」となる。 実際にわたしは放蕩をつくして、それで散々な目にあったには違いない。 しかし、それをやらないでいた人生の方が面白かったとも思えない。


2008 July 6 by seven.